第6回 二刀流開眼

武蔵が二刀流を完成させたのは、明石在住のころではないかという説があります。
二刀流を編み出したのは、「小倉碑文」では養父の十手術を応用したとされ、「東作誌」では幼いとき讃甘神社の神官が二本のバチを巧みに操って太鼓を打つのを見て思いついたとされています。
一方、たつの市龍野町にある圓光寺に道場を構える門人のもとで、播磨に育つ圓光寺流兵法に触れるうちに、二刀流「円明流」に開眼したという説もあります。
この「円明流」のいわれは、謡曲源氏供養の「四智円明の明石の海」という雅語成句からとったものであるともいわれます。
明石は当時、月の名所として有名で、四智円明は明石の枕言葉になっているほどですから「明石で完成した流儀」という意味で名付けたのではないかというのです。
生国播磨へ帰った武蔵は、どれほどそこに留まったのでしょうか。寛永九年(一六三二)に明石藩主小笠原忠長が豊前へ国替えになったとき、伊織に同伴していることから推測すると、十五年になります。しかも壮年期のことですから、故郷へ錦を飾るという気持ちが武蔵にあったのなら、やはり武蔵は播州人だったといえるでしょう。〈つづく〉

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