コレクション寄贈25周年企画──國富奎三氏が語る「名画は誰のもの」②

特 集


「ストラスブール美術館展」で國富コレクション「ジャズ」(マティス)をバックに微笑む國富奎三氏(中央)とエステル・ピエトジック同館館長(左)、永田萠姫路美術館長(右)

美術は〝心の糧〟──ふるさとのために公開を決意

私がコレクションを寄贈したのは1994(平成6)年。国宝姫路城が世界文化遺産に登録されたことへのお祝いの意味もあった。常設展示され、しばらくは知る人ぞ知るという通好みのコーナーだったが、近年は国内外からの借用依頼が後を絶たない。コレクションの価値を正当に評価、発信してくれた美術評論家の千足伸行先生(成城大学名誉教授)をはじめ、美術史研究家の六人部昭典先生(実践女子大学教授)、絵画修復専門家の大原秀行先生(吉備国際大学副学長)と伊藤由美先生(東京芸術大学非常勤講師)、姫路美術館のスタッフたちに感謝したい。

現在のような評価を得るまで、私は様々な誹謗中傷を受けてきた。我慢に我慢を重ねて今がある。そもそも、なぜ私が絵画を収集し、なぜ姫路市に寄贈したのかを話しておきたい。

私は38(昭和13)年に岡山県総社市で生まれた。父は開業医で、診察に追われる忙しい日々にあっても俳句や書、日本画、茶などに親しんだ。自宅でよく句会を催し、地元には句碑も残っている。母も茶や花、古典文学を嗜んでいた。そんな両親だったから、私も茶道具や掛け軸など古美術品に囲まれた環境で育った。大原美術館にも父に往診車に乗せられてよく連れて行って貰った。

だが、当時の私は油彩画よりも、実家にあった刀剣類に興味を引かれた。中学進学で岡山市内に移ると、家のすぐ近くにあった刀剣商に入り浸って随分と年の離れた愛好家たちの刀剣談義に加わるようになった。これが、私が本格的に美術品を認識した出発点。おかげで、美術品の真贋を見極める目が養われていった気がする。高校進学時に父にねだって日本刀を買って貰ったのだが、後に江戸時代前期に摂津国で活動した名工の作だと分かったという話もある。その後、東京に進学すると、下宿先に刀剣を持って行くわけにはいかなかったので、徐々に絵画や陶磁器に傾倒していった。

絵画収集を始めたのは72(昭和47)年、日赤姫路病院勤務を経て独立してからのこと。私には兄姉がおり、兄が総社市で父の跡を継ぎ、姉が神戸市の医者に嫁いだことから、私はその中間地として姫路市を選び、現在地の青山で開院した。当時、兄姉から「よくもまあ、そんな文化不毛の地で」と反対されたことを今でも思い出す。

開院当時は今よりはるかに忙しく、働き詰めの毎日で疲れ果てた心身を癒やしてくれたのが絵画だった。寝る間も惜しんで全国の美術館や画廊を巡っていると、そのうち自分が「これぞ」と思う作品を手に入れたくなった。それでもなかなか納得のいく作品に出合えず、初めて購入できたのは2年後だった。

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