公開実現へ大きく前進したのは、次の市長・戸谷松司氏との出会いからだった。83(昭和58)年に就任した戸谷市長にとって、ほぼ同時期に開館した姫路美術館の深化は念願だった。翌年に「ぜひ一度市民に見せてほしい」と頼まれて姫路美術館に貸し出し催された「親と子で見るフランス名画展」は大好評で、これに手応えを感じた戸谷市長からすぐさま寄贈を打診されるに至った。もちろん私も快諾した。

だが、交渉は難航した。ネックは展示場所だった。私が出した条件は、約50点のコレクションを姫路美術館または周辺の施設で一括して常設展示すること。「多くの有名美術館が館蔵品の目玉として特定の作品を常設展示しているのに倣うべきだ」と譲らなかった。とは言え、美術館は特別史跡内にあるので増築するにも文化庁の許可が望めない。館内を全面改修するか、姫路城改札前の迎賓館を利用するか─。最終的に美術館改修は費用が莫大になりすぎるとして見送られ、迎賓館を改装して展示することで両者は合意した。ところが、これも文化庁が認めず、交渉は白紙に戻った。

予想通り、外野からは「交渉がまとまらないのは國富がわがままをゴリ押ししようとしているからだ」といった声が聞こえてきた。私は自身の名誉とか意地とかでなく、作品そのもののレベルを考えて欲しかっただけなのに。

その後、ついに姫路市は美術館内を3年計画で大改修してコレクションを一括展示できるスペースを確保することを決断。再び両者は合意したのだが、今度は市側が「議会に諮っていない合意内容を契約書に明記することはできない」として頑なに拒んだため、またもや破談に。

最後の決裂から2年後、どうしても諦められない戸谷市長はまたも使いを私のもとに送ってきた。それまで戸谷市長と私との間を行き来していた三枝二郎美術館長に代わって訪ねて来られたのは桑原昭二教育長だった。姫路の地に文化の芽を育成することに心血を注いだ戸谷市長が切り札として遣わした方だった。桑原教育長は戸谷市長の美術館構想を丁寧に説明してくれ、私は「今度こそ」の思いで最終合意したのだった。

それにしても戸谷市長は粘り強かった。「市民のために國富のコレクションを貰う」と周囲を納得させ、邪魔する者は押し切った。見事な手腕だった。

このように、コレクションは寄贈して25年だが、それ以前の交渉を含めると約40年が経過したことになる。いろんな経緯があって、「このコレクションを大事にしないといけない」と言ってくださる人が増え、文化庁も国宝を展示できるよう協力してくれるようになった。姫路美術館はどんどん良い方へ向かっている。本当に万感の思いだ。
〈つづく〉

國富奎三(くにとみ・けいぞう)昭和13年岡山県総社市生まれ。昭和47年に姫路市青山で國富胃腸病院を開院、現在は同院名誉院長。ほかに姫路市美術品等購入審議委員会委員・部会委員、播磨空手道連盟名誉顧問を務めている。

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