国史跡「利神城跡」(佐用町平福)を後世に引き継ぐための整備基本計画の策定作業がヤマ場を迎えている佐用町で、同計画の要点を共有するシンポジウムが11月30日、さよう文化情報センターで開かれた。
利神城は1349年(貞和5)、赤松一族の別所敦範が利神山頂に城を築いたことが始まりと伝わる。関ケ原の戦いの後、池田輝政の甥・由之が2万2千石で領主となって大改修した。この時の天守があたかも雲を突くような威容だったことから、「雲突城」と呼ばれたという。
麓の平福の町並みは因幡街道の宿場町として栄えた名残をとどめており、観光シーズンには利神山の風景と併せて散策を楽しむハイカーが多く訪れる。城跡は2017年に国の史跡に指定されたが、長年の風雨で石垣崩落など危険箇所が増えたため、残念ながら今はガイド同行のツアーでしか入れなくなっている。
この貴重な史跡を適切に保全管理し、地域振興に役立てようと、同町は来年度から史跡内の土地を取得し、安全対策に取り組むことを決めている。そのための計画が今年度内に策定される。
シンポでは、計画づくりに携わる専門家らが利神城の築城技術や防災を踏まえた整備の考え方を講演したほか、観光や地域振興の観点で史跡を活かす方法をパネルディスカッション形式で議論した。
講演では、同計画策定委員長の藪田貫・県立歴史博物館名誉館長が策定作業のあゆみを紹介したほか、利神城をめぐる物語として、「別所氏が居城した中世」「宇喜多氏を経て池田氏が大改修した近世」「廃城後に旗本領や幕府直轄地となった頃」「宿場町平福として最も栄えた頃」の4つの切り口での観光アピールを提案。県立考古博物館名誉学芸員の山上雅弘氏は「山城跡の石垣群と山麓の御殿屋敷(平城)跡が残る西日本で唯一とも言える史跡」と歴史的価値を高く評価し、関西大学名誉教授の西形達明氏は「急峻な斜面の上に立つ石垣を保存していくには新しい考え方が必要。日本の技術進歩のためにも頑張ってほしい」と困難な事業に取り組む地元地域を鼓舞した。
パネルディスカッションでは、藪田氏の司会で5人のパネリストが意見発表。整備計画の最終年となる2036年度に一部エリアの公開を目指していることを踏まえ、単に登山道を整備するだけにとどまらず、映像やAR(拡張現実)などを使った現地解説、学校やガイドと連携した学びの場づくりなど、史跡の幅広い活用方法を多面的に話し合った。
地元住民らは「整備後の利神城跡が天空の城・竹田城(朝来市)に並ぶ観光スポットになれば」と期待している。<2026/01/11>





